長く続ける秘訣は「楽しむ」こと
ネイル黎明期よりシーンを引っ張ってきた木下美穂里さん。2024年にはネイリストとして初となる「現代の名工」に選ばれ、TV、新聞を始め様々なメディアに取り上げられ、ますますその功績に注目が集まっている。ここでは、そんな木下美穂里さんにこれまでのネイルライフ、そしてこれからについて語っていただいた。
Profile
木下美穂里/ネイリスト、メークアップアーティスト、ビューティクリエイター、「木下ユミ・メークアップ&ネイル アトリエ」校長、「ラ・クローヌ ネイルサロン」代表、「ユミ・クリエイション」代表取締役社長、「NPO 法人日本ネイリスト協会」理事・企画委員長、名誉本部認定講師 、ネイルトレンドプロジェクト長、ピンクリボンプロジェクト長を務める。日本の映像メークアップの創始者木下ユミを引き継ぎ、60年以上の歴史と伝統を誇るビューティの名門校「木下ユミ・メークアップ& ネイル アトリエ」の校長も務め、現在までにアトリエの卒業生は1万3千人を超す。@mihori_kinoshita
技術者として特別な勲章
厚生労働省が認定する、技術者の地位や技術水準の向上を図ることを目的とされた称号「現代の名工」。これは毎年、伝統工芸や建築・土木、製造業、サービス業などから優れた技術を持つ人に顕彰され、技能の価値を広く伝え、次世代への継承、社会的地位の向上に貢献した人物の中から選出される。この度、2024年度の「現代の名工」に、ネイリストとしては初となる選出を木下美穂里さんが見事に果たした。
「私の父と母が設立に関わった『日本ネイリスト協会』(1985 年)の発足の頃から協会には、いつか『現代の名工』に選ばれるようなネイリストを育成いきたい、という思いがあったと聞いています。当時の私は若かったので、それがどれだけ名誉なことなのかピンとこず。すると当時から親しくしてさせていただいていた、ヒロ・マツダ先生や本田誠一先生が『現代の名工』に選ばれていて、次第にその素晴らしい称号のことを強く意識するようになりました。それと同時に80年代当時は『ネイル産業は、まだまだ世間的に認知も評価も足りていない』と考えていて、それも私の様々な活動のモチベーションの一つに繋がりました」
日本の映像メークアップ技術のパイオニアとして知られ、国内外でも高い評価を得ている木下ユミさん(「木下ユミ・メークアップ& ネイル アトリエ」名誉校長)を母に持ち、10代後半の頃より、美容の世界へ飛び込んだ木下美穂里さん。
「母の影響もあり、キャリアとしてはヘアメイクアーティストからのスタートでした。CM やドラマ、映画の撮影時のヘアメイクの仕事をしていて、周りからは『天才・木下ユミの娘』という風に見られていて、『2代目だから』『上手くできて、あたり前』と思われていました。できないを言いたくない。何でもこなせるマルチプレイヤーになりたいと思っていました」
特殊メイクを学ぶために渡米
そこで木下美穂里さんが着目したのは特殊メイク。すぐに決意を固め、最先端の技術を学ぶためアメリカへ何度も学びに行くことになる。「ハリウッドの学校へ通っていたのですが、そこにはネイルのクラスもあって、教室の前を通るたびにアクリルレジンの匂いがして『特殊メイク』と同じ材料を使ってつけ爪を作っていて『すごくキレイ! 特殊メイクと同じレジンだ!! 』と。その後、縁があって当時のネイルコンペティションで世界チャンピオンだった方と親しくなり、イベントなどのブースのお仕事を手伝う代わりに、ネイルの技術を教わることができました」
1985 年、木下美穂里さんの両親が中心となって任意団体として発足された「日本ネイリスト協会」。そのカリキュラムや教材の作成を若手の仲間たちと務めることに。ちょうどその頃、ネイルの上にフラワーやリボンを立体的なアクリルで飾る技術を木下美穂里さんが「3D ネイルアート」と名付け、ネイルアートが日本中へ広く知れ渡るきっかけとなった。
「90年代の初頭にバブル崩壊があって、景気が著しく低迷しました。その頃の日本では、ネイルサロンはまだまだ定着しておらず、ファッションの世界では徐々に注目され始め、私は雑誌や撮影現場で様々なチャンスをいただく事になりました」

ネイルアートブームの始まり
その後、1994年に公開された大ヒット映画『パルプ・フィクション』。劇中でユマ・サーマンがしていたシャネルのアイコンカラー「ヴェルニ ルージュ ヌワール」のポリッシュが話題となり、その後、木下美穂里さんがネイリスト協会の会報誌の編集長として表紙デザインを担当している時に、このアイコンカラーをイメージしてデザインした表紙が話題に。
「1997 年に創刊されたファッション誌『GINZA』(マガジンハウス)初号のメイン特集がネイルでした。その特集のネイルを担当させていただき、ブルーのロングネイルに3Dアートを乗せた作品を披露しました。それが話題となり、ほかのファッション誌からも声がかかり、次々と作品を掲載していただけるようになりました」
同時期に日本ネイリスト協会は、検定試験や認定試験を実施し、ネイルにおける正しい知識と技術の向上を確立させた。また『NAIL EXPO』をはじめとするイベント開催にも従事し、ネイルやネイリストの認知度を広く伝えた。2000年代に入るとジェルネイルが浸透。一般にもネイルサロン、ネイルアートの認知が上がり、時代は一気にネイルブームに。木下美穂里さんも2000 年から約20年に渡り「東京ビューティーコングレス木下ユミ杯」を主宰。多くのアーティストを輩出してきた。2006 年には、日本ネイリスト協会はNPO 法人となり、ネイル産業をより社会的信頼が高いものへと定着させた。
「今、振り返ってみると、ネイル業界としての最大の危機は、すべてのサービス業と同じく、2020年からのコロナ禍だったと思います。実際に私たちのサロンワークは止まってしまったし、世間のライフスタイルや価値観が大きく変わり、ネイル離れをするお客さまも多かったと思います。ただ1度地爪になったお客さまは、今度はネイルケアに関心を持ち始めているのも事実です。ジェル成分が入ったポリッシュも人気で、ネイルの楽しみ方も次第に移り変わってきているように見えます。ネイルケアやポリッシュに触れているうちに、『もっとネイルを楽しみたい! 』って思っていただけるように、私たちはさらに技術とセンス、知識を向上させなければいけないと考えています」
もっと高いレベルを目指して
さらに、木下美穂里さんは検定試験の必然性についても言及する。
「検定(ネイリスト技能検定)を取得することの本来の目的は『合格するための努力』にあると思います。それを経験した人には、必ず自信がついてきます。ネイリストとしての自信とプロの自覚があれば、接客も格別に充実したものになります。お客さまへの安心感や満足感はもちろん、例えクレームがあったとしても堂々と対応できるし、知識があればちゃんと説明ができるようになります。自信がないまま、サービスを続けているとお客さまへもそのことがきっと伝わります。だからこそ『検定試験に合格した』という自信と経験を身につけてほしいです」
昨年ネイリストとして初となる「現代の名工」に選ばれた木下美穂里さん。この名誉ある称号に自身が選ばれた要因を尋ねると。
「これだけ、ネイルの仕事を長く続けてこられたのは、がむしゃらに頑張ったわけでもなく、やらなきゃという焦燥感でもなく、ただ『楽しい』からです。私の場合は、学ぼう、練習しようという気持ちではなく『この探究心が楽しい』でした」
さらに「ネイルは国から認められたネイルサービス業なので、ネイリストはお客さまへ高いレベルの技術とサービスを提供することが仕事」と木下美穂里さんは続ける。
「一度原点へ返って、ネイリストという職業についての意識を高く持ってほしい。単にアートを披露する人、ジェルネイルを施す人ではなく、爪について様々な悩みを持っているお客さまへもサポートができるネイリストがもっと増えたらいいなと思っています。それは特殊な技術を学ぶことではなく、ネイルの知識に加えお肌や化粧品の知識を深く持ち、爪のトラブルを解決するためのアドバイスを提供したり、リペアやエクステンションの技術で、問題をクリアしたり、そんな総合的なサービスができると職業・ネイリストとしての価値や必然性がもっともっと高まると思います」
長年、ネイルシーンを牽引してきた木下美穂里さん。現在は「ネイルのことをちゃんとお客さまへ説明できるように」、そんな思いからどこに住んでいる方にも、木下美穂里さんの知識と経験を伝えられるオンライン講習に尽力する。その受講生は毎年増大している。
「ネイリストという仕事は、ますます技術と知識、それから経験を重ねて行く事が大切。これらが揃っていれば、職業としての可能性がもっと広がると思います。年齢幅が広く、どんなタイプのお客さまへも最適なサービスが提供できるようになると、大きな達成感を味わうことができる。ネイリストは、本当に素敵なお仕事だと思います」
Photo&Interview_Daisuke Udagawa(M-3)