人によって、または経済の都合によって買うものは様々ですが、そのほとんどが「価値がある」と判断したものに、人はお金を使います。
人は、おそらくお金で幸せになることはできないけれど、お金で不幸になることがある。
人生、お金がすべてではないけれど、「心のチャージ」くらいの感覚でいることが一番健康的かな、なんてことを考えています。お金をたくさん持つ前にそのことに気づきました(とほほ)。けれども、人が何に価値を見出すかは、とことん千差万別。但し流行りはある。
職業柄、ネイルの撮影をよく行っていますが、写真を見てくださったからいただく褒めフレーズ。
「すごくキレイ!まるで、絵みたい!」。
また別のシチュエーション。とても精密な絵を見ると思わず口にするフレーズは
「すごい!まるで、写真みたい!」。
つまり、絵みたいな写真。写真みたいな絵。
この現象は、何かに似ていると思い、よくよく思い出してみると。
「肉みたいなトロ」「トロみたいな肉」これに似ている。
そのものの本来持っている良さが最高潮に達したとき、なぜか人は、対極にあるものに例えるクセがあるのか。
または、TVの食レポを見ていると気付くのが、甘いモノを称賛するときは「さほど甘くない。。」一方辛いものを褒める時は「辛さの中にも甘味がある。。」など。美味しい野菜を食べた時には「フルーツみたい。。」なんてものもあります。とにかく対極へ。
執筆の仕事の時に私が気に入っていてよく使うフレーズは、例えば以下の通り。
「寡黙にして饒舌」
「繊細にして大胆」
■例文
1)あの人がとった行動は、寡黙にして饒舌だ。
2)あの人は、繊細にして大胆なところがある。
※1)多くを語らないが、感情がダダ漏れである。多くの情報を感じることができる。
※2)優雅で華麗な見た目と性格なんだけど、大事な時に強いパフォーマンスを披露する。
対極にある言葉を組み合わせることで、その中間にある奥ゆかしさが想像できる。イマジネーションが膨む。
1)あの人は「厳しさ」という優しさを持っている。
2)あの人は「優しさ」という厳しさを持っている。
※1)は、なんか、こわそー、けどいい人なんだろうな。
※2)は、いつも優しい、けど自己責任はご自分でどーぞ!的な
3)あの人はお金を持っているが、心がとても貧しい。
4)あの人はお金を持っていないが、心がとても裕福だ。
あなたは、どっち派?
この対極論を極めていくと、例えば、あなたが誰かとの待ち合わせに遅刻をするとします。
「相手の心情として」
■待ち合わせにて
・5分の遅刻>まあまあ許せる
・15分の遅刻>やや不快な気持ちに
・1時間の遅刻>腹が立つ
・3時間の遅刻>心配する
・いっそのこと行かない>逆に不安になる。ただ無事を願う
・連絡が取れない状態になる>捜索願を出す。むしろ愛情で溢れる
ほんのちょっとの遅刻でも、その後の行動で、こんなにも結果が違ってくるでしょう。つまり相手にとっての「価値」が変わってくる。
人それぞれの「価値」ってものは、色々とややこしそうだ。
かしこ
宇田川大輔(NAIL VENUS編集長)著